最新研究の成果をたくさんのひとたちに
伝えたい (1/2)

田中 公教 さん(博士(理学)/丹波市立丹波竜化石工房「ちーたんの館」教育普及専門員/兵庫県立大学客員研究員)

 

コロナ禍で出来る最善の特別展を

-今年4 月「ちーたんの館」に着任した田中公教 教育普及専門員。中生代の海鳥の研究者という一面も持つ彼と「丹波地域」との関わりが始まったのは、2018 4 月。そして2020 3 月までの2 年間、恐竜化石総合ディレクター(兵庫県立人と自然の博物館)として篠山層群の県民参加型発掘調査にまつわるコーディネート業務を実践してきた。業務を通じ『国内有数の恐竜化石発見地・丹波』を下支えしてきた立役者の一人だ。そして「ちーたんの館」着任後、彼が初めて手掛けた特別展『角竜の進化』が、2020 7 23 日~8 31 日まで行われている。

 

これまで、「ちーたんの館」での特別展は、毎年夏休みや冬休みの期間に実施しており、今年度からは私もその企画・運営に加わることなりました。今回の特別展『角竜の進化』については、人博の先生方とも事前に相談して「角竜の企画展、まだやっていなかったよね」ということで、そこから企画が始まったんです。篠山層群でもすでに複数の角竜化石が見つかっていますしね。

ただ、今年は新型コロナウイルスの影響もあって、準備もなかなか大変でした。まず、他県の博物館も恐竜展を企画しているところが多く、借用できる標本がなかなか見つかりませんでした。新型コロナウイルス感染症の影響も加わって、海外から標本を借りることが難しくなるので、この状況はしばらく続くかもしれませんね。国内の博物館でこれから「恐竜展」をしようとすると、標本の貸し借りの調整が大変だとは思っています。

わたしは、実際に展示を企画して作り込むのは初めてでして…。なので、全て手探りで勉強の連続でしたね。まず、始めたのは「角竜」の勉強です。一から教科書を読みましたよ。本当に「角竜」に関しては素人だったので、企画に取り掛かる前に、まずは勉強のために角竜研究の代表的な論文を集めました。なので、最近の論文も読んで「なるほど、角竜の進化については、いまこういう風な議論がされているんだな」と。合わせて他の博物館の企画展の資料を集めて、それを参考にさせてもらったりですね。そして展示パネル案を作って人博の先生方にもみてもらって、「間違ってないですかね」と。そのやりとりを経て、いまようやくみなさんに見ていただいているんですけどね。

それから具体的にどんな展示物を置くかを決めて、その後に展示物をあるところに交渉して貸してもらえるかどうか、ひとつずつやっていかないといけないんですね。当然、予算があるので、その枠内で、何を買って何を準備するのか。というのを全部、関係者の皆さんと相談して決めていかなくちゃいけない。

とにかく全ての業務が初めてのことばかりだったので、全部一からスタートで。ほかの博物館の先輩たちに「これってどうやってやるんですかね」って聞いて(笑)。まず、どこの博物館にどんな恐竜の標本があるかとか、そこから知らないんですよ。だから、今回の企画展で展示されている角竜たちも、とにかく知り合いのつてをたどって、どこに何の標本を置いているの?と聞いてまわりました。展示に加えたい標本を所蔵する施設をある程度教えてもらったら、今度は、その施設に電話をして、標本の借用が可能かどうかひとつひとつ聞いていきました。

今回展示されている標本は20 点ほどあるんです。そして、貴重な実物化石だったり、手で運べるものに関しては、実際に自分が現地に出向いて借りに行ったりもしました。今回、展示標本を借りるために行ったいちばんの遠方は、鹿児島県薩摩川内市の下甑島ですね。

今回の特別展の規模は小さいんですが、小学生が見ても分かりやすいように、そして、ある程度詳しい方が見ていただいても「角竜の進化」が見渡せるものになっていると思います。角竜といえば派手で大きな「トリケラトプス」が有名なんですけど、ツノのない小型の角竜もたくさんいます。日本からも、もちろん篠山層群からも見つかっている化石があるんですね。そういう意味でコンパクトですが、一覧性のある企画展になっていると思います。

 

「何となく入った大学」から、研究者の道へ

-田中専門員の「生きもの」への興味は子ども時代にさかのぼる。そして大学進学を考えたとき「勉強してみたいな」と思ったのが、「生きものの進化を探るためのDNA 解析」。そのために有機化学を学べる大学への進学を目指した。しかし浪人して大学を受験した結果、合格した「地質科学科」に進むことになる。そこで待っていたのは、フィールド(現場)重視の実践的な演習-ハードなカリキュラムの中で時間をかけ、「地層」の勉強を進める中で、再び「生きもの」への興味が湧き上がってきた時、「もっと研究をしたい」という気持ちが芽生えたという。

 

博物館は子どもの頃は好きでしたね。ただ、育ったのが京都市内で、自然史系の博物館がなかったんですよ。でも大阪まで出るのは遠いなぁという感じだったんで、高校くらいまで一切「博物館での学習体験」はなかったですね。

実はわたし、高校から大学に行くときは全然違う分野に行こうと思っていまして。やっぱり根底には生きものが好きで、生きものの進化とか興味あるよなぁ、と、最初はDNA とか身体の中にあるような有機物質-そういうものが面白いなと思っていたんですけど。「フラスコもって白衣きて、カッコいいな」と。形から入るタイプなので(笑)。

最初、そういう、有機化学を学べる大学を探していたのですが、結局受かったのが信州大学の理学部地質科学科(現 理学部地球学コース)だったんですね。最初は知らずに入ったんですけど、実はそこは伝統的な地質学教室がある大学で…なんというか、メチャクチャ本気の大学だったんですよ。最初、入学式の前の日に先輩に集められちゃって。そしていきなり先輩の車に乗せられて現場に連れて行かれて「これが地層や!」「ハンマーの振り方教えます!」って。そして次の日、入学式に行ったら、今度は先生が「はい皆さん、お金集めます」って。「え、何のお金ですか」と聞いたら、ハンマーとクリノメーターとフィールドノートを買わされて。「これが“地質屋”の三種の神器です!」と。すごいですよね。

その学科では、最初の1 年間は山の中に連れて行かれるんですよ。なんせ信州ってすごい山が豊かな場所で、日本アルプスが目の前にありますからね。そこで1 年生の最初に前期で「地図を読めるようになれ」って言われて。ぼくらが学生の時代には、まだインターネットがそこまで普及していなかったので、先生が「次の授業はこんな感じでやりますよ」って資料を掲示板に貼るんです。で、そこに貼り出された地図には山の真ん中に〇マークがあって「ここに●時集合」とか書いてあるんです(笑)。みんなで「はぁ?」ってなって、その後に調べて、自転車乗って…まぁ、30 分くらい山道を登っていったら先生がちゃんといまして。「遅いぞ」と言われて(笑)。いわば、「オリエンテーリング」ってやつですね。地図の読み方とかコンパスの使い方とかを勉強しましょうと言われて。それを2~3回やったら、次はもっと山の奥に連れて行かれて「はい、ここで解散」「ゴール地点で待ってるから、自分で地図を読んで自力で帰ってきなさい」と先生が言うんです。しかもみんなで一緒にスタートしたら、誰か分かる子にみんなが付いて行っちゃうから、ひとりずつ時間をずらして出発させる(笑)。とんでもないところに来ちゃったなぁと思いました。

とにかく、そういう、座って勉強するんじゃなくて「モノを見ろ」みたいな文化がその教室にはありましたね。2 年生の最後の授業では、石の種類を見分ける授業がありました。薄く切った鉱物を顕微鏡で見て、その鉱物の組み合わせから実際の石がどれかをあてるという。もう、試験用紙に書かれた問題を解くとかじゃないんですよ。モノを見て当てる、という。みんなどんどん正解を出していくんですけど、僕だけさっぱり分からないっていう。なので仕方なく、後輩たちに混ざりながら、次の年もう一回同じ授業を受けました。でもそこで初めてマジメに…興味を持って勉強し始めました。するとだんだん面白さを感じるんですよね。ああ、石ってこうやってできているのね、と。そうするとようやくカリキュラムのいいところも見えてきて。だからまぁ、興味をもって勉強していくと、見方が変わるんだなというのが、その時に初めて分かりましたね。たぶん僕、習得するまで、他の人の倍くらいかかりましたけど。

石もいろんな種類があって、マグマが固まってできた石(火成岩)と、砂や泥が固まってできた石(堆積岩)、それらが変成してできる変成岩と、大きく3つに分かれるんです。昔は化石が好きだったし、やっぱり根底には生きものが好きだったので、やっぱり「(マグマが固まってできた火成岩より)化石が入っている石(堆積岩)がいいな」と思ったんですよ。マグマの中には化石はないじゃないですか。それに、生きものの進化に興味があったので、広く地質学を学んで行く中で、それよりも直接的な…「地層から得られた生きものの痕を調べて、その直接的な証拠から進化を考える」というところで、古生物学に対する興味がどんどん高まってきました。

学部生のとき、1 年生から4 年間、福井の恐竜発掘のアルバイトに行ってたんです。それは同じ学部の恐竜が好きな友だちに教えてもらって。その時には「恐竜」ってピンと来てなかったんですけど、その子が「恐竜自分で掘ってみたくない?」と。あ、それ面白そうだね、って。現場でも先輩や学芸員の先生方がすごくいい人たちで、すごく面倒見てくれてたんです。

卒論を書き終わるころには、けっこう地層が面白いなと思い始めていました。そして、その続きで化石を研究したくなってきたんですね。すごい単純な考えで「でっかい化石を掘れたら面白いよなぁ」と(笑)。そして次の進路を考えている中で、北海道大学の小林快次先生に連絡したら「じゃ、一度話をしにきて来ていいよ」と。その時まだ卵化石研究の田中康平先生(現:筑波大学助教)がカナダへの留学に行く前で、小林先生の研究室にいたんですよ。北海道大学総合博物館の学生部屋で田中先生と初めて出会い、どこのウマの骨かもわからない学部生のわたしに、研究の面白さについてたくさん教えてくれました。一般に、化石の研究をするのはとても大変で、博士号を取った後は研究者として就職するのはもっと大変だと言われます。でも田中先生は、その大変さだけではなく、研究の楽しさとか、ポジティブな面をたくさん教えてくれたんですよ。その後、北海道大学の大学院に何とか入学することができ、古生物学を始めました。

 

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