最新研究の成果をたくさんのひとたちに
伝えたい(2/2)
田中 公教さん (博士(理学)/丹波市立丹波竜化石工房「ちーたんの館」教育普及専門員/兵庫県立大学客員研究員)
つらく、楽しい研究生活
-修士課程に入って初めて「骨」「化石」の勉強を本格的に始めた田中専門員。最初は人間の骨と筋肉の名前を覚えるところから始まった。その後、白亜紀の鳥を専門領域に据えて本格的な研究活動を開始。大学院での研究活動のなかでは、国内外問わず同世代の研究者との競争もある。研究活動は大変なことも多いが、楽しみも得られる貴重な体験の連続だという。
【田中公教 博士が出版した最新の研究】
淡路島・和泉層群から発見された海鳥化石に関する論文の出版および臨時展示の実施について
https://www.hitohaku.jp/research/h-research/20200605news.html
それまでは石や地層を観察する研究が主だったのですが、そこから一転して、大学院ではまず初めにみたのが人間の骨だったんですよ。そこに出入りしていた医科大学の先生が「人骨をまず頭に入れろ」と。まず自分の身体の骨を全部覚えて、その上で、別の生きものに骨に当てはめて考えると覚えやすいと言うんですね。なので頑張って頭のてっぺんからつま先まで全部覚えました。医学部の学生と同じカリキュラムをしてくれたんですね。骨の次は筋肉、そして神経。できるやつは内臓まで行きなさいと。骨と筋肉で僕はパンクしましたけど。それを半年間くらいみっちり勉強して、それからようやく自分の研究テーマというのを考える段階になりました。たまたま縁があって、北海道で発見された鳥化石を研究させていただける機会に恵まれ、白亜紀…「中生代の鳥」を自分の研究テーマに据えることにしたんです。
私が北海道大学に入学した当時、小林先生のところにはすでにたくさんの学生が来ていました。「〇〇の研究をしたいです」という話にもなるのですが、そういう時に小林先生は「そういうの、自分で(新しい化石を)見つけてこないとできないよね」って。やりたいっていっても、モノ(化石)がないと。大学院では当然、材料は何を使って、どんなテーマで研究を進めるか、自分で考えて決めなくてはいけません。でも大学院に入学した後にも関わらず、わたしは研究テーマが定まらず迷走しており、先生には「恐竜から鳥への進化に興味があります」という、いま思えば浅はかな考えを伝えました。そのテーマで研究するための化石も、自分では何も準備していなかったのに、です。先生は苦笑いしながら「なかなかね…難しいよね…まぁ、ちゃんとどうするのか考えろよ」と。でも偶然、北海道の三笠博物館に調査中の鳥化石が収蔵されていて、「まぁ、それじゃ鳥、いわゆる恐竜よりも鳥の研究やってみて」ということになりました。鳥類化石の専門家が少ないというのも、このテーマに惹かれた理由の一つでしたね。
研究活動は、やっぱりつらいこともたくさんあると思います。まだ誰も調べていないようなことを調べないと研究にならないですし、はじめのころは、何をすれば新しいのかも分からない。いろいろと試行錯誤しながら、必要なデータを少しずつ積み重ねて、ようやく研究を発表できる段階になります。例えば学会に参加すると、さまざまな研究者と意見を交わし、時には批判的な意見を受けながら研究を進めていかなければいけません。修士研究を終えて論文を出すための準備を進めていたころ、ノロノロしているうちにアメリカの研究チームに先を越されたこともありました。私たちが研究していたものと同じ海鳥グループをまとめた論文が出てしまったんです。当時の私の心境としては、それまで2~3年積み重ねてきたことが全部ぶっとんだような気持ちでした。次の日、心が折れながら小林先生のところに行って「昨日、こんな論文が出まして…」と。そうしたら、「いやいや、別の論文が出たなら出たで、そのデータを踏まえて、君の論文を書き直せばいいじゃん」って言われて。なるほど、そういう考え方もあるんだなと。
その後、色々な方に助けられながら、ようやく自分の研究をまとめて、初めて論文を投稿することができました。論文の査読(同分野の専門家による評価や検証のこと:研究者が学術雑誌に投稿した論文が掲載される前に行われる)では、専門家から自分たちの研究結果について様々なコメントをもらいます。当然、批判的な意見もたくさん寄せられることもあります。すべてのコメントに丁寧に回答し、それを何度が繰り返すことによって、ようやく論文は「アクセプト(受理)」となります。初めて論文を書いた時の経験は、とても大きかったです。先に他の研究者に、自分と似た研究領域の論文を出されたほうが良いこともあります。ほぼ同世代の人が組み立てた理論を読んで、自分の論文と比べた時に「確かに言うとおりだな」という部分もあるし、「ここは違うんじゃないかな」って部分もある。そういう風に科学が進んでいくんだなということが良く分かりますよね。この経験があったから、今でも「研究っておもしろいなぁ」と思えているのかもしれません。論文や学会発表という形で、自分の研究を公表することって大変だし、自分の結論には反対の意見も出てきます。公表することで批評を受けることができ、サイエンスが進んでいきます。それはやっぱり面白いですね。
それと自分が面白いなと思える研究なら、誰に何を言われても続けられると思います。それが辛かったり、嫌だったらやめちゃうし。何事もそうですが、研究活動には楽しいこともつらいこともたくさんあるので、自分が面白いと思うことをどこに置くかですよね。それを続けていけるってことは、やっぱり幸せなことなんだと思います。
一流の研究の最前線を見られるミュージアム
-そんな田中専門員が、考える「ちーたんの館」の役割とは何だろうか。
恐竜化石に関しても、研究は重要なんですけど、研究しているだけだとなかなか外に伝えづらいですよね。でも、研究成果を外の人に伝えようと思うと、博物館はとてもよい場所だと思うんです。研究成果を一般の人に分かりやすく伝える場所になりますよね。そういう意味では、博物館ならではの活動というのはやりがいはあるなと思います。今回の企画展についても、「角竜」のことはあまりよく知らなかったので、一から勉強しなおして企画しましたけど、大変でしたが、楽しみながらできましたね。
恐竜って、いま本当に人気の研究分野だと思うんですよ。ただ、博物館で置いているのものはどうしても「骨格」中心になってしまう。古生物研究をする上では、「骨」「骨格」が中心的な検討素材になるのでしょうがないのですが。でもそればかり見せられても、正直、普通の人は何のことだか分かりづらいし、そもそもの知識がないとそこからの情報を自分で「取りに行く」ことって難しいですよね。そういう意味で、わたしは自分自身が古生物学者でもあるので、目の前にある骨から、学術的な裏付け…最新の研究動向も踏まえた上で「より分かりやすく」、恐竜なんかの魅力を伝えることができるんじゃないかなと思っています。そこから恐竜だけではなくて、理科のさまざまな分野への興味も広げてほしいですしね。いまは新型コロナウイルスの影響もあって「館内でのガイド活動」が出来ていないのですが、これが落ち着いたらぜひ自分の肉声で、その時のお客さんの興味に応じた「館内ガイド」をやりたいと思っています。
いま、実際にしている業務としては「教育普及専門員」という肩書ですので、教育普及に関わるすべてのこと、そして博物館の標本の管理などですね。「ちーたんの館」では、専門の化石剖出技師(プレパレーター)が常駐しており、丹波地域から発見された化石のクリーニング作業をしているところを間近で見ることができます。技師は2名います。彼らには化石の扱いだけではなく、化石工房での様々な作業を行っていただいています。たとえば、技師の方々は「教材開発チーム」でもあります。
化石工房では恐竜のフィギュアづくりやクリーニング体験などのセミナーやワークショップを定期的に行っています。参加いただいた方には、作業を楽しんでもらうだけではなくて、それを通して何かしらの「学び」や「気付き」があるといいなと思っています。どういうところに重点を絞って「学び」をデザインするか…それに最適な教材を用意するために、彼らにいろいろと協力してもらっているんですよね。例えば、アイディアをわたしがつくって、「こんなのどうかな」「ああ、面白いんじゃないですか」「じゃあ作ってみましょう。どんな素材がいいですかね」というようなやりとりを常にしています。剖出技師の彼らは、テクニシャン(技術者)としても、創意工夫して柔軟に対応してくれるので、むしろ僕がいろいろ教えてもらいながらやってます。
丹波市山南町に化石クリーニング工房が出来たのが2007 年、ちーたんの館ができたのが2010 年。そして徐々に企画展の運営やワークショップの企画なんかも始まって、ミュージアムとしての活動の幅は広がってきていると思います。これからは、もっと学びのバリエーションを広げていきたいですね。特に「ちーたんの館」は地域に根差したミュージアムなので、そういう意味では地元産の標本を展示することが出来て、唯一無二の価値がある場所だと感じています。これからも、できることを、自分が役に立てることを探してやっていきたいですね、本当に。