山内一郎さん
県立人と自然の博物館 認定化石専門指導員
「丹波地域恐竜化石フィールドミュージアム」の取り組みの初期段階から兵庫県の職員としてその推進に関わってきた山内さん。恐竜化石が見つかる丹波市山南町の住民でもある。退職後のいまは「化石専門指導員」として、県内各地へ出向き、石割体験プログラムの指導者としても活躍している。山内さんに「化石愛」をお聞きした。
◆業務を通じた偶然の出会い
-もともと学生時代から地学や生物に興味があったんですか?
結構ね。理科が好きやったんや。大学ではね、文系だったんだけど、もともと理科とか社会が好き。それはもう、中学校ぐらいから好きやった。地理とかそういうのも好きだし、生物とかもね、興味があった。
(恐竜化石が見つかったというのは)噂が先に流れたんやな。そんな冗談、って思った。でも、どこやろうな、って。それで(恐竜発見のニュースが2007年1月に)発表になって、川代からかいな!と本当に驚いた。
-その時は、現場に足を運んだりしました?
その時はちょうど忙しい時期でね。もう、ほんとうに休みなく働かなくちゃいけないような職場にいたから。だから気がこっちには向かなかったんだな。毎日毎日、発掘現場の横を車で通って職場に通っていたんだけどね。
-それからしばらくたって、ご自身が業務の一環で、直接関わるようになりました。
ちょうど2015年ですよね。川代の現場でも6次発掘が終わって、さぁ、次は何をしようか、となっていた時に、「フィールドミュージアム」というのをしようじゃないか、と。それまでは国際フォーラムみたいなものをやったりね、県民局もいろんな事業をしていた。その担当者になりました。そのころだよね、川代トンネルを整備しよう、となったのは。そして、その川代トンネルをつくるときに出る岩砕をどうしようか、と、ひとはくの三枝先生たちと相談することになったんです。
-思いもよらない展開でしたね。本来は産業廃棄物になる予定だった岩砕を捨てずにとっておいて調査に使うなんて考えもしなかった。
そう。トンネルで掘り進める地層が一部、篠山層群を貫いているということが分かって、ひとはくの三枝先生が「残しておいてほしい」と。いろいろと協議に時間もかかったけれど、結論としては岩砕の一部を篠山川沿いの用地にいったん運び出して調査することになった。その前から業務の中で石割をしたこともあったから、自分としてもちょっと興味は出ていたしね。それに石の中の化石を見つける目もちょっとずつ鍛えられていた。そんなとき、岩砕をざっと見ていたら「あれ?」と思う石を見つけたわけ。そのときはなんだろう、と思って、あとで池田先生に出会う機会があって、そこに「トンネル岩砕からこんなものが出てきましたよ」って持っていったんや。池田先生は「これは炭じゃないかな。ま、博物館に持って帰って調べてみるわ」と。あとで「ワニの歯だった!」って池田先生が言ってきたときは驚いたな。それで「これは面白いな」と。それが、化石に本格的に興味を持ち始めるきっかけになったね(笑)。
◆石割体験会に来る子どもたち
-やっぱり自分で化石を発見できると、はまってしまいますね。
あのね、石割体験でもそうなんだけども、それって大人でも小さい子でも関係ない能力なんだよね。「こんなものを探しや」って言った時に、そういうものをちゃんと見れるかどうかなんだよね。見つける子っていうのは小さい子でも何個も見つけるしね。
-最近では、出張石割体験プログラムの指導員としても活躍していますね。
以前から丹波地域恐竜化石フィールドミュージアム推進協議会でやっていたいろいろなセミナーがありましたよね。その中の「石割体験」だけを取り出して、県内の都市公園や施設に出張プログラムとして実施することになりました。非常に評判がいいですよ。一度呼ばれていった施設からは「来年もお願いします」って必ず言われるくらいで。
-「元気村かみくげ」に石割体験に来る子どもたちと、出張プログラムで出会う子どもたちで、何か違いはありますか?
「元気村かみくげ」に来る子たちは、発掘体験というよりは、恐竜公園があるから、って来る家族連れもいるんですよね。そんな中でまわりを散策していたら「あ、体験会もやってるんだ」って、イベント的に参加してくれるひともいる。「発掘体験」「恐竜大好き」なんかとはまたちょっと違う興味の入り口から入ってくるんだね。そんな家族連れは、親が「今日どこかお出かけ先ないかな」と調べて、恐竜公園に来て、そのついでに石割体験しようかとなるみたいだね。
出張プログラムでやると、来る子どもたちの雰囲気は全然違って。観光がてら、とかではないよね。もう、ほんとうに「石割体験がしたい!」と、本気で、そのプログラムを狙ってくる子たちが多いね。
でもね、出張プログラムをやると、そのあとに「じゃあ丹波にも行ってみます!」となって、(丹波に)来てくれる人も多いみたい。そういう効果がある。だから「元気村かみくげ」と「出張プログラム」の両方で指導員をしているとそういう違いを肌で感じるよね。
やっぱり最終的には丹波に来てほしいなと思ってやってますね。世界中を見渡しても、電車や車で来れて、しかも乗り物を降りたらすぐ目の前に化石の発見現場がある地域なんて、ほとんどないんです。海外の調査地なんて何日もかけて発掘現場にたどり着くとか聞くもんね。住んでいる場所から日帰りで来れるなんて、ものすごくラッキーなんですよ。だから、「ここで恐竜化石が見つかったんだ!」って、自分の目で見に来てほしいよね。
◆退職後、本格的に「化石」にはまる
-石割体験で活躍するために必要な「化石専門指導員」は、退職後に講座を受講して資格を取られたわけですね。
川代の石を扱う試験のときは、私がその時1人満点を取りましたよ。10個石をみて、化石が入っているかどうか見極める試験だったんだけども。池田先生でも9個正解どまりだったからね。
地層ごと、場所ごとに、化石の見え方が全然違うから、ひとつひとつが勉強なんだよね。
だけど、篠山層群の化石は本当にキレイに残ってるからね、骨がね。特にいま池田先生が扱っているものって、骨が細くて小さいでしょ。でもね、(モロハサウルスの化石を)見つけた瞬間に「これは見たことないな」って、先生とも話したくらい、それくらいすぐに見分けがつくくらいに、化石がいい状態で保存されている。
ただ、だからといって、誰でもすぐに見分けがつくわけではないんだよね。福井の恐竜博物館でも「野外博物館」で、岩石を割る体験があるよね。でもそこの石とももちろん違うし、植物化石が見つかったとしても、篠山層群の石の中の見え方とは全然違う。
だからひとはくに新しい研究員の先生が来たとしても、多分、最初はわからないと思う。しかも同じ篠山層群でも宮田と下滝と川代は全然違う出方するからな。川代の中に出てくる骨片と、下滝に出てくる骨片の出方は全然(色味など見え方が)違うしね。
-化石かどうか見極めるだけじゃなくて、それがカメなのかカエルなのかもわかるようになってくるんですね。
最初はね、わからない。でもみんな最初は分からないんだけど、やっていくうちに少しずつ分かるようになってくる。昨日(実施した石割体験会)だってあれ、(出てきた化石は)何かのカメか、骨片が出とったもんね。他の人は炭だとか最初言っていたけど、あれはカメやね。だいたい、数をこなしていると、この場所から出てくる種類はこれかな、というのが大体わかってくるんですね。そしてたとえば、表面がブツブツしていたらカメかな、とかって。
-別の地域の地層を思わず見てしまう、とかありませんか?
あのね、去年9月か10月に娘や孫を連れて鳥羽に行ったんだよ。お伊勢参りもしたんだけども、「ちょっと、ここに車を停めていい?」って、海沿いの地層をみてしまうわけ。「あ、こっちの地層には入ってないな」とかと思いながら、地層観察したりね。
◆篠山層群の秘密に迫りたい
-これからも地域の方々が中心となって、化石の発掘や調査が進みますね。
今年もまた化石産地のひとつの上滝第2を対象に、地元のひとたちが試掘調査するって言っている。
丹波竜が発見されて、発掘が始まってからもう17年だよね。あの時、地域のひとたちが大勢関わって発掘作業をしたんだけども、目下の課題はその方々が高齢化してきたこと。川代の「元気村かみくげ」でやっている石割体験会の指導者も同じく高齢化が進んでいるんだよね。新しいメンバーをどんなふうに増やしていくか、が、課題になるのかなとは思ってる。
いま、「木の駅プロジェクト」の代表っていうのもやってるんだけども、最初、組織を立ち上げた時はいろんな人たちが集まって、人の幅が広すぎてこれってどうなん?いろんな方向を向きすぎて収拾つかへんな、と。行政的には「目標を決めてこうします」っていう考えでいたから、最初は戸惑った。でも途中から、これはあんまり狭くしない方が可能性があるし、ええんちゃうかと思いかけてね。そうすると最近はね、ほんまにいろんな人が来て、もうあのITというか情報発信が得意な人が、これはいいことだから、ボランティアでインスタ発信しますとか。YouTubeとかね。ほんまに専門的なカメラ2台くらいで撮ってやってくれる。それやりかけるといろんなとこからインスタを見て入ってくる。
永続的なものをしようと思うとやっぱり、多様性が大事だな、と。
だから、もしこの学習体験とか恐竜とかをやるんやったら、もっと違う人たちがいたら、また広がりがでるんだろうなとは思いますよね。
-いまひとはくがされている「化石専門指導員」の方々も、いろんな方がおられる?
そうやね。ほんとうにね、びっくりするような経歴のひともおられるよね。今年から、ひとはくの先生たちが「ボランティア・フォーラム」というのを企画してくれているんだよね。まだ未発表だけれども、と、現在進行形の研究動向を我々にレクチャーしてくれる。それはね、もう、勉強になりますよ。参加している指導員の人たちの質問内容も、確信をつくようなところをズバッと聞いたりするからね。面白いですよ。
-これからの山内さんの野望みたいなものはあるんですか?
それはあるね。篠山層群の化石の新しい産地を見つけたいね。篠山層群が露出しているポイントで、まだちゃんと調査できていないところって実はあるんだよね。最初に丹波竜が見つかった川代でも、大雨で川の水が増えて、表面が削れてぽろっと恐竜の骨が出てきた。だからちょっと前は出てきていなくても、月日が経つと自然現象で化石が見つかるってことはあるんだよね。それを狙ってます。
まだまだね、調査さえすればどんどん新しい発見があると思っていますよ。篠山層群の可能性は未知数なんですよ。
この間もね、丹波篠山市の化石調査ボランティアのひとたちと一緒に篠山川沿いの河床におりて化石を探してみたんですよ。まずはずっと地層が重なっているところを観察して、「どの層から出るか見てみようか」「まず貝を探そうか」と。そうしたら貝が見つかったんだよね。そして骨の欠片らしきものも見つかった。じゃ次からはその層のあたりをみんなで探そうか、となっています。
ササヤマミロス・カワイイが発見された宮田の地層の調査も進めてるし、ほんとうにロマンがありますよね。
-ものすごく夢のあるお話ですよね。
最近、ニュースになったけれども、サラリーマンをしながら化石ハンターをしているひとが、「東アジアでも最も古いウミガメの化石」を鹿児島県の獅子島で見つけたやろ。あんなんのもな、憧れるな。ほんとうに化石は面白いですよ。
最初は仕事を通じて「化石」に触れたわけだけど、自分でもここまではまるとは思ってなかったというのが正直なところですね。これも自分みたいなボランティアと、研究者のひとたち、他にも化石調査にかかわるいろんな人たちの距離感が近いからこそ成り立っているし、楽しめるんだろうな、と日々、感じています。
(取材日:2024年2月5日)