新たな大発見を目指して~
「恐竜化石発見者」奮闘記
村上 茂さん (丹波竜化石第一発見者)
終わってしまった丹波竜の発掘調査-「次の、丹波竜に代わるものを探したい」
-2006年8月、ここ丹波市山南町上久下で最初に発見された恐竜化石は、2014年8月、新属新種の竜脚類「タンバティタニス・アミキティアエ」という学名が付いた。通称「丹波竜」と呼ばれるこの恐竜化石を最初に見つけたのが、足立冽(きよし)さんと、村上茂さんだ。
丹波竜の発掘調査は、2007年1月から、毎年1回、冬場の雨の少ない時期の約1~2か月ほど行われましたが、2012年の第6次発掘を持って、いったん終了となってしまいました。
そしてその後も、興味を持って発見現場を訪れる方が絶えることはありませんでした。でもね、わたし自身が現場をご案内しても「調査はどうなっていますか」と聞かれるんですよ。(いまと同じように当時すでに発掘現場は)コンクリートで埋めてあってね、「発掘調査は終わりました」と言うんですが、来られた方は「終わったんですか…」と残念そうにおっしゃる。「これ以上発表するものはない。今後の予定もない。もう掘り尽くしました」と言うと、みなさん、ショックで肩を落として帰っていくんですよね。
わたしは「これではやっぱりいかんな」「次の恐竜を探さなあかんな」と。やっぱり継続的にやらなきゃみなさんの関心が薄れてしまう。「次の丹波竜に代わるものを探さなあかん」と。そういう『使命感』を感じましてね(笑)。そう思って、時々、発掘現場近くを丹念に見て歩くことが多くなりました。
もしかして、新しい恐竜の化石?-きっかけは「新聞の特集記事」の取材
-そして2014年春、新聞の特集記事の企画が持ち上がる。取材のため、村上さんは一般募集の家族連れと共に、丹波竜の発見現場近くをあらためてじっくりと探索した。
それまでにわたし自身も、このあたりは探しに行っていたんですよ。もしかして、(新しい化石がまだ)あるんじゃないかなと思って。ただ、直接のきっかけとなったのは、この取材の時です。
兵庫県に住む家族連れの方々と一緒に「化石探し」をしたんですね。でもね、そう簡単に化石なんて見つかるわけもない。ところが、ちいさい子どもたちですからね、だんだんとあきてきますわね。そんな時、子どもたちが聞くんです。「例えばどういうものが恐竜なのか。化石なのか」「どうやって探すんや」と、しつこく(笑)。
恐竜は立体物だから、地層面の上から見ても横から見ても模様にしか見えないんですよね。断面も。だから、模様を探そう。ということと、輪郭がしっかりしているものを探そうと。そして、疑いを持って探そうと。色が違う、形が違う模様を探そう。わたしも根気強く教えました。
それでもなかなか見つからない。「どんなものか」「どれが模様や」と、子どもたちからの質問もまだまだ止みません。んー、そうだな…とじっくり地層を見て、「例えばこんな模様がな」といって、最初に見つけたのがね、こういう模様ですね(写真1,2)。「こういうものを見つけたら、ここを丁寧に掘っていこうか」と。その時にパカッと割れたんですよ。そうすると、なんか、見えるんですよ。子どもたちがね「化石ですか!?」というもんだから、「化石だ」なんて言ったら大変だと思って(笑)、「いや、ちょっとこれ、博物館で見てもらわないと分からんけどな」と。「例えばこういうものを探すんだよ」と言うたんですよ。これが結果的には、骨、具体的には竜脚類の頚肋骨(けいろっこつ)だったんです。彼らの執念がなければ、見つからなかったかもしれませんね。本当に、わたし自身も驚きました。「やっぱりまだ恐竜の化石があったんや!」と。
写真1:新聞取材を受けている時に偶然見つけた化石(ハンマー上部のグレイの部分) | 写真2:見つけた化石を少し掘り出した時の様子 |
地元ボランティアによる発掘調査隊の結成-いきなりの大発見
-その発見を無駄にしたくない、と、村上茂さんは地元有志に呼びかけて「試掘調査」を実施することにした。日頃、『元気村かみくげ』で発掘体験の指導をしたり、人博と共に丹波竜発掘調査のボランティアをしていた有志メンバー達。第1回目の試掘調査は「丹波竜の仲間を探そう」と題して、10人ほどのメンバーと共に2014年8月29日~31日まで、4日間にわたって実施。短期間の調査にも関わらず、そこでたくさん発見されたのが、「卵殻化石」だったという。
その新しい発見(頚肋骨化石)が新聞に載って、次の恐竜がやっぱりおったなと。わたしもちょっと自信がつきました。その地層を「地域で、いまから掘りますよ」とみなさんにアナウンスした上で、試掘調査しようと。そうすればまた注目してくれるでしょう? 丹波竜の発掘に協力してくれた人に声掛けて、調査したんですよ。そしてその一発目にですね、いきなり他の恐竜の歯と共に、たくさん出てきたのが…卵ですね。
われわれ、大きなもの(恐竜化石)しか、発掘調査の時も見てないやろ。あと、小さいものでも骨しか見ていないから、いきなり「卵」と言われてもピンとこないんですわ。でも「これはなんや」と、調査に同行してくれている人博の先生たちに聞いて初めて「卵」だと分かったんですよ。
試掘調査の時はいつも人博の先生に指導をお願いしています。最初、人博の先生たちに「地元で試掘調査をしたいんですが、指導お願いします」と言ったとき、先生たちも二つ返事で「やりましょう」と。例えば何か「これは?」というもが見つかった時も、三枝先生とか池田先生が見たら分かるね。モノを見れば大体、これカメ、カエルとか、われわれとしては「なんか変わったもんやな」とは分かるけど、それが何かは、横に先生におってもらわないと分からん。そういう意味で人博の研究員の先生に、試掘調査の時もいてもらって協力してもらわないと分からんね。それでうまいこといったんです。
でもね、今回調査している場所は、とにかく(化石が)ようけ、出てくるもんだからね。試掘調査も各回1週間もあれば十分、(研究用の)サンプルがとれる。だから、残りをコンクリートで埋めて…また翌年掘るわけです。試掘調査の時も、丹波竜の時と同じように、高さとか奥行きとか、地層に印をつけて、記録を残しながら進めていますね。多少の機械も使いますが、手作業も多い。予算がないので、大きな重機は入れられないですし。とにかく地道な作業です。(写真3)
写真3:有志のボランティア、人博研究員と共に試掘調査を進める |
「本丸」はこれからだ-次こそ、再び「新たな恐竜化石」を見つけたい
-2016年1月には「獣脚類恐竜もしくは鳥類と考えられる非常に小型の卵殻化石等が、密集した状態で複数発見された」と記者発表(※HP_1)があり、本格的な研究も始まった。
そして2019年1月~2月にかけて大規模な調査が実施され、ついに2020年6月、新卵属新卵種1種、新卵種1種の学名が付与された(HP_2)。2015年6月にはすでに新卵属新卵種1種の学名が付与されている(HP_3)ので、これで学名のついた恐竜卵殻化石は全3種、それを含めて全6種の恐竜卵殻化石が発見されたことになる。
2020年6月に学名が付与された新卵属新卵種には「ヒメウーリサス・ムラカミイ」と、自身の名前が付けられた。これは「現時点でヒメウーリサスは世界最小の(非鳥類型)恐竜卵」だ。
第1回目の試掘調査で卵殻化石が大量に見つかって、その後は10月、11月の秋口あたり、年に1度、地元有志で試掘調査をしようと。2105年10月、2016年12月…といまも続けています。
卵殻化石については、人博の先生の中でも専門の先生がいない。そこで、当時カルガリー大学にいらっしゃった田中康平先生(現:筑波大学助教)に研究をお願いしたようです。
まずは「卵殻化石がたくさん見つかった」ということは喜ばしい。それに(新しい恐竜卵殻化石に自分の名前がついたことは)、素直にうれしいですね。記憶だけではなく、記録にも自分の名前が残るんだな、と。
ただね、これまで実施した地域主導の試掘調査現場は、全部が同じ場所ではないんです。その回によって、化石の出方も見ながら、人博の先生と相談しつつ、調査場所を変えている。例えば1回目は『元気村かみくげ』の化石体験している裏側も調査しましたよ。
わたしとしては、最初に見つけた恐竜化石(頚肋骨:けいろっこつ)の持ち主をね、恐竜本体を探したいんです。実はね、あらためて、この場所(頚肋骨が見つかった場所)は、掘れていないんですよ。実際は(写真4)。これ(写真左側)が川の方ですね。こちら(写真右側)が土手の方ですね。この辺がね、頚肋骨が見つかったところで、ここからは掘っていないんですよ。恐竜化石発見地点に近づく間に卵が見つかったんですね。まだまだ掘れていないところがあるんです。わたしが生きているうちに、この中の「(頚肋骨を見つかった恐竜化石の)残り」を取り出したい。なかったらなかったで、納得して死ねるから(笑)。生きているうちに確かめたいなと。
それにもっと欲を言うと、肉食恐竜が見つかったらいいかなと。この辺でもね、獣脚類の歯が一本突き刺さってたんです。あと、恐竜以外でもね、卵殻化石も、カエルもヘビも。なにか見つかるといいなと思っている。ひょっとしたら世界で初めて見つかるものかもしれないからね。出てくるものが全部新しいですから。丹波竜でも、この時代に丹波竜(のような大型の植物食恐竜)がおったというのは初めて分かった。この時代にはいなかったと言われていたものが、ですよ。ひとつひとつの発見が生物の歴史を塗り替えていく。新しい発見があれば、前のものが否定されて、また新しくなっていくんです。
どんどん調査して、新たな発見をして、学術の先生たちの研究材料となるようなものを供給したいですよね。みなさんが喜んでくれるようなものを提供したいという一心です。
写真4:2014年に恐竜化石(頚肋骨)が見つかった現場。写真の左側が川、写真の右側が土手の方面。調査は川側から進めているため、これまで、まだこの地点までは調査は到達していないという。 |
新しい調査地の可能性-「なんぼでも出まっせ」と言いたい
-今後、現在の「旧上久下村営上滝発電所記念館」の上流側に防災・避難用の橋を架ける計画もある。当然、その時には橋脚を立てるため篠山川の河床を掘り進めることになるという。
将来ね、遊歩道が終わったくらいのところ…発掘現場から上流側に橋が架かるんですよ。対岸に住む人たちのための避難防災用道路になるようです。その時に、橋桁、橋脚をつくるよね、そしてそのためには河床を掘らなければいけないでしょ。そこは篠山層群を掘るわけですから、ぜひ(河床を掘った後の)残土の調査も行いたいと、思っているんです。地層の年代はね、これまでの調査地と比べると、若くなりますけど。卵殻化石の発見地とも、丹波竜の発見地とも違う年代ですね。何かね、見つかったらうれしいですね。
丹波竜がみつかって15年、卵殻化石も最初の発見から5年、6年経ってます。あの時に比べて、さらに大勢ひとが来てくれるようになった。もっともっとたくさんの方々を案内もしないといけないし、「なんぼでもでまっせ」と言いたいですね。もう「調査は終わったんですか…」と残念な顔は見たくありませんから。興味のある人たちは、ぜひこの「世界有数の恐竜化石発見地」、丹波市山南町を実際に訪れてほしいと思います。「こんな狭い場所から、こんなにたくさんの恐竜化石が!」と驚くと思いますよ。(2020年7月22日取材)
※HP_1
丹波竜化石発見地周辺における化石試掘調査の実施結果(2016年1月8日)
https://www.hitohaku.jp/research/h-research/kaseki-20160108news.html
※HP_2
篠山層群より産出した恐竜卵殻化石の記載論文の出版について(2015年6月29日)
https://www.hitohaku.jp/research/h-research/kaseki-20150629.html
※HP_3
篠山層群より発掘された獣脚類恐竜の卵・卵殻化石の記載論文の出版および臨時展示の実施について(2020年6月23日)
https://www.hitohaku.jp/research/h-research/20200623news.html