子ども時代のスーパースターに出会える、ちーたんの館
この小さなミュージアムに
あることがすごい

常岡 芳朗さん (上久下地域自治協議会 地域コミュニティ活動推進員)

卵化石が見つかる

-昨年(2015年)10月に、丹波竜発見地よりほど近い場所で、恐竜の卵と思われる化石が発見されました。10月19日~22日に上久下地域自治協議会が主催し、丹波市が共催、人博(兵庫県立人と自然の博物館)が協力して実施された「発掘調査会」での出来事でした。そもそもどういう経緯で調査をしようということになったんでしょうか。

2006年丹波竜の化石が見つかって、今年2016年で満10年になったんですね。発見の翌年から始まり、毎年冬に行われていた人博の発掘調査も第6次発掘(2011年~2012年)で終わりました。当時は人博の先生曰く「たぶん丹波竜が埋まっていた場所からは大きな化石はもう出ない」ということでした。だからいまは丹波竜の発掘現場はコンクリートで固めて保護しまっていますね。
ところが2015年にその上流部分、5メートルくらい上の方から卵の化石が見つかったんですね。ここもいまはもうンクリートで覆っていますが。そもそもは、2014年春ごろ、村上茂さんがめずらしいものをその現場から見つけたことから始まったんです。たまたまですけれどもね。
その発見は神戸新聞の紙上コーナーの取材で現場を歩いていた時のことでした。子どもが学習するというテーマで2人くらい子どもさんと記者さんが来たんですね。それを村上茂さんが案内する、という状況でした。そこで茂さんが「現場であったらこういう風に化石を探すんや」と子どもたちに説明しながら、取材・撮影しながら探していたんですよ。その時にぽこっと化石らしきものが見つかったんですね。
そうしてその見つかった化石を人博へもっていったら「恐竜の化石やね」と(人博の先生がおっしゃった)。それが契機になって「公開試掘調査」を2014年8月29日~31日にしたんですよ。その時にはね、あんまり人博の予算がなかったものですから、じゃあ地元主催でやりましょうと。協力を博物館にしてもらってね。そして小動物の密集箇所が見つかったんですよ。

-普段石割をしている方が、公開試掘調査をされたんですね。

ええ。ボランティアの方が率先して試掘調査をしました。その時にも、人博の先生たちが「この辺は化石の密度が薄いんじゃないか」「あんまり見つからないんじゃないの」と事前に話があった現場でした。(だから試掘調査にも)先生たちは期待薄で来たようですけどね。でも実際にそういうものがポンと見つかった。それも初日ですわ。
あと2日間はあまり発掘できずに、見つかった部分をプラスタージャケットにして人博へ持ち帰りました。人博では、それの取り出し作業を2日間費やしたようなものです。それが1回目の地元主催の発掘調査です。
その翌年の2015年3月くらいだったと思うんですが、県立柏原高校の「知の探究コース」を加えてもう一回やったんですわ(第2回目地元主催の調査)。その時は同じ場所をやったんですが、成果がなかったです。それでもね、やっぱり地元が主催で発信し続けておかないと、上久下地域の化石に対してよそからの関心が薄れてしまいますよね。だから続けよう、と。それで第3回目を2015年の10月にやったんですね。今年(2016年)も12月初旬に実施する計画です。

-第1回目の試掘調査の初日に小動物の密集箇所が見つかった時、どんなお気持ちでしたか?

自分が見つけたわけではないんだけどね。正直言ってそんなに早く見つかるとは思っていないし、人博の先生からも「可能性の薄いところやで」とは聞いていたんでね。ポンとでるもんやから、あれ、ここって出るんかな、と。

定年後に始めた石割ボランティア

-常岡さんご自身は発掘ボランティアで活動されていると思うんですが、いつくらいからそのような活動をされているんでしょうか。

わたしが60歳で定年退職しましてね。その時がちょうど第5次発掘(2010年~2011年)の時だったんですわ。その時にいきなり削岩機もってね、下の方に降りてガンガン岩を掘りました。これでもメンバーの中では若い方だから。
 これまでの仕事とは全然関係のないことです。仕事ではここに住みながら、姫路、竜野、和田山、綾部、といろんなところにずっと転勤しながら、会社に通っていましたよ。
最初に化石が見つかったというニュースが新聞で発表になった時は、会社の営業所のみんなに朝礼で教えました。それはまだ退職する2~3年前くらいの話です。それくらいですよ。それからは、まったく関わりもしてないし。仕事で忙しいから現場を見に行きもせえへんし。

-とはいえ、(最初の化石発見の時)新聞を見てすごいな、とは。

そう。思った。でもその時期、一時期で。

-小さいころ、発掘現場当たりで遊んだとか、そういう思い出はありますか?

このあたり、小学校があるでしょ。わたしが住んでいるのがね、上久下のいちばん西の端だからね。そこから3キロも歩いて小学校旧発電所のあたりで泳いだな」とかね、そういう経験はないです。

-いままで地元の第1次発掘からボランティアでされていた人から「一緒にやらへんか」と誘われて、第5次発掘の参加することになったんですか。

そうなんです。ボランティアの申込書があったんですけどね。それで申し込んでデビューしたんです。でも第5次発掘、第6次発掘と2年しかやっていないんです。第5次の時はやまほど出たけどね。第6次のころはあまり出なかったですね。その頃はカエルとか小さいものも気にしていた時期でしたから、そういう小さいものの見分け方も教えてもらいながらね、やりおったですね。第1次~第3次の発掘までは大きな化石を掘っていて、そういう小さい化石には目が行っていってなかった時期だと聞いています。発掘ボランティアの方もだんだん目が肥えてきて。これなに?みたいなものがどんどん見えてくるから、小さな化石も徐々に見ていくようになったんですね。

-途中からボランティアのメンバーが変わってくることもあったんですか。

第1次発掘からやっている人が大半ですかね。途中参戦はめずらしいですよ。わたしくらいかもしれません。冬場やるしね。環境としては過酷です。わたし自身もどちらかというと暇つぶしくらいの感覚で。いっぺんどんなもんか見てみようか、と思って参加しました。

-でも「とりあえず」入ったわりには、割合大きなものが見つかった発掘時期でもありましたよね。いかがでしたか?

大きい、ごついものが出てるしね。いきなりそこに、地面からぽーんと貴重な化石が出てるんですよね。すごいな、という感覚はありますよね。地元でこんなものが出るというのがね。休憩時間に「日本で最大級だ」「まとまって化石が出る場所がない」とか人博の先生や先輩から聞きますしね。
そして真冬だけど、ここで発掘作業をやっていたらホンマに汗かくくらい重労働です。結構しんどいですよ。

発掘指導員として活動する

発掘調査で大きい化石をとった後の周りの岩石は、元気村かみくげへ運んでいるんですよ。その岩石を使って発掘体験というのをやっています。自分自身、発掘体験の指導員もしています。最初は村上茂さんや鷹夫さんに石の判別方法を教えてもらいながら、指導員補助を1年くらいやってから、指導員として活動し始めました。

-結構、たくさん子どもたちが石割体験に来られるじゃないですか。忙しくないですか?

いや、忙しいですよ。とっても。
最初から比べると増えています。化石の発見も多いし、元気村かみくげの隣に恐竜広場ができているでしょ。だから子供がたくさん来てくれるようになっていますからね。そしてその分、発掘体験に来てくれる人も増えていますね。
小学校低学年から幼稚園の子どもさんというは、なかなか集中力が続かないから、20~30分したら飽きてくる。その変わり、あとの方は親が変わってやっている家族もいます。小さい子でも続けられる子もいるけれども、子どもが1時間必死になって集中するというのは、めったにいないですね。
最近で印象に残っているというのは、休みごとに加古川からずっと通っている大人がおって。もう化石探すのが大好きという人ですね。コツがわかってくるから。その子なんか、こっちが見つけられないようなものでも、自分のルーペ持ってきてね。自分で大体判定して持って来ますから。彼なんかはぼちぼち博物館のお墨付きをもらって、指導員になったらいいんじゃないかな、と。そういう感じです。彼は地元主催の発掘の3回目から来ているんですよね。
発掘体験の指導ができる人は、いまは6人くらいかな。そのうち身体がしんどい、腰が痛い、と。そういう人たちが出てきているからね。なんとかね、地元からでも、どこからでもかまわないから、若い人が関わってほしいですけれどね。
川代トンネルの石があるでしょ。あれって見分けがいままでのパターンとは違いますやん。泥岩の中から見つけるのと。わたしらでもわからない。聞かないとわからない。だったら、ホンマの素人でも入り込めるんじゃないかな、と。同じスタートラインに立てるからね。そういうことはずっと強調していたんだけどね。

去年の11月に、北海道大学の小林(快次)先生やカナダのカルガリー大学のカリー先生が丹波竜フェスタにきてくれました。丹波市主催の恐竜化石発見9周年事業の一環でしたね。講演の中でカリー先生が「篠山層群は可能性をいっぱい秘めた化石発見地、宝の山だ」と言ってくれたんですね。うれしかったですね。